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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)1244号 判決

原告 藤本重三郎

右訴訟代理人弁護士 植田義昭

被告 伊藤森夫

右訴訟代理人弁護士 永井由松

被告 清須和彦

〈ほか五名〉

右六名訴訟代理人弁護士 坂本忠助

主文

一、被告伊藤は原告に対し、金一、五二一、三四五円およびこれに対する昭和四一年二月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告清須は原告に対し、金二、二七六、〇四五円およびこれに対する昭和四一年二月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三、原告のその余の被告に対する請求は、いずれも棄却する。

四、訴訟費用は、原告と被告伊藤および同清須との間では、原告に生じた費用の四分の一を被告伊藤の、同費用の四分の一を被告清須の各負担とし、その余は各自の負担とし、原告とその余の被告との間では、全部原告の負担とする。

五、この判決は、主文第一、二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

一、被告伊藤は原告に対し、金一、五二一、三四五円およびこれに対する昭和四一年二月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告清須および同松田は原告に対し各自金二、二七六、〇四五円およびこれに対する昭和四一年二月二三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三、被告吉田富美は原告に対し金七五八、六八一円およびこれに対する昭和四一年二月二二日から支払済まで年五分の割合による金員を、被告吉田睦子、同吉田雅および同土屋明子は原告に対しそれぞれ金五〇五、七八七円およびこれに対する昭和四一年二月二二日から支払済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

四、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

(被告ら)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二、請求原因

一、(手形の振出と原告の割引)

(一)  被告伊藤は、訴外伊藤工業株式会社(以下伊藤工業という)の代表取締役として昭和三九年九月一九日から同年一一月五日までの間六回にわたり別紙手形明細表(2)ないし(7)記載のとおり額面合計金一、七五一、〇〇〇円の約束手形(以下「本件(2)ないし(7)の約束手形」の如く指称する)を、訴外東京合同通商株式会社(以下東京合同通商という)に対し振出した。

(二)  被告清須は東京合同通商の代表取締役であり、被告松田と亡吉田与蔵(昭和四二年四月二二日死亡)とは、その取締役であったところ、被告清須は右会社の代表取締役として、昭和三九年九月四日と同年一二月一日の二回にわたり別紙手形明細表(1)および(8)に記載のとおり、額面合計金八五〇、〇〇〇円の約束手形を、原告を受取人として振出した。

そして、原告に対し、前記伊藤工業振出の手形を含めた同明細表(1)ないし(8)記載の約束手形の割引方を求めたので、原告は同表記載の各日にその割引をなし、割引金合計二、二七六、〇四五円(伊藤工業振出の手形の割引金一、五二一、三四五円と東京合同通商振出の手形の割引金七五四、七〇〇円の合計)を東京合同通商に対し支払った。

二、(伊藤工業および東京合同通商の倒産と原告の損害)

東京合同通商は昭和三九年一二月東京手形交換所から取引停止処分を受けて倒産し、次いで伊藤工業も昭和四〇年一月同交換所から取引停止処分を受けて倒産した。このため、原告は前記割引をして取得した手形の支払を受けることができず、少くとも前記割引の際支払った割引金同額の損害を蒙ったものである。

三、(被告伊藤の責任)

被告伊藤は、伊藤工業の代表取締役としてその職務を行うについて、次のとおり悪意または重大な過失があったものである。すなわち、

(一)  (計画倒産)

被告伊藤は、株式会社の有限責任制度を濫用して利益を計ろうと考え、被告清須と共謀のうえ、東京合同通商と伊藤工業との相互の間で融通手形を振出して割引を受け、手形割引人から金融をうけた後会社を倒産せしめて事実上その支払を免れ、右割引人以外の取引先とは新会社を設立して取引を継続する計画の下に、本件(2)ないし(7)の約束手形を東京合同通商に対する融通手形として振出したものである。

(二)  (支払能力のない手形の振出)

仮に(一)が認められないとしても、被告伊藤は、当時、伊藤工業が左記1ないし4掲記の情況にあり、早晩倒産せざるを得ない状態にあり、同会社並びに裏書人である東京合同通商にもその資力なく、手形金が満期に支払われる見込はなかったにもかかわらず、その事情を十分に知りながら、悪意をもって、あるいは重大な過失により知らずに、本件手形を振出したものであるから、これが支払不能のため蒙った原告の損害を賠償する義務がある。

1 (昭和三九年二月二九日当時の伊藤工業の状況)

伊藤工業の昭和三八年三月一日以降昭和三九年二月二九日までの第五期決算において、同会社にはすでに四、八九三、三二二円の欠損が生じていた。同会社の資本金は一〇〇万円であるから、右欠損の額のみからみても、同会社の倒産は時間の問題であったことは明らかである。しかるに、被告伊藤は、同期の決算書に一、一五二、三二六円の利益金が生じたかのように粉飾するなど会計帳簿に虚偽記入し、これをもって取引金融機関を欺いて過大な借入れないし手形割引の依頼をしていた。

2 (訴外日本特殊機材株式会社に対する過払)

伊藤工業は、昭和三九年三月から昭和四〇年一月までの間に、同会社の同期間内の総売上高をも超える合計金四二、〇〇四、八三〇円相当の手形を、訴外日本特殊機材株式会社から振出を受け、これを伊藤工業の取引金融機関で割引し、その割引金ないしその額に近い金員をその都度右訴外会社に支払うなどして、その決済の見込もないのに同会社に対し合計金一六、五六九、九七五円にのぼる支払超過をなしていた。このような状態では、伊藤工業の経営維持が不可能なること自明である。

3 (訴外松希工業株式会社との間の融通手形の乱発)

被告伊藤は、伊藤工業の代表取締役として訴外松希工業株式会社との間で、昭和三九年三月から同年一二月までの間に、おびただしい回数の融通手形の交換を行い、その総額は金一六、一二四、〇〇〇円もの莫大な額にのぼる。右のように膨大な融通手形の交換が行われたのは、結局被告伊藤が訴外松希工業株式会社と共謀のうえ、計画倒産したものである。仮にそうではないとしても、経営状態が極度に逼迫している伊藤工業と松希工業が前記多額の交換手形を授受することにより、両者が連鎖的に倒産するであろうことは火を見るより明らかであるから、被告伊藤は、伊藤工業自体が先に倒産しなくとも、相手方である右訴外松希工業振出の手形が不渡となり、その余波を受けて伊藤工業自体も倒産に追いこまれることを十分予測し得たものというべく、この点において重大な過失がある。

4 (手形買戻による資金事情の悪化)

昭和三九年三月以降本件約束手形振出の直前である同年八月一五日ごろまでの間に、伊藤工業が取引金融機関で割引いていた手形のうち、訴外株式会社東宝産業、同大洋商事および同株式会社東立技研の振出した手形が不渡となり、伊藤工業は少くとも本件(2)ないし(7)の約束手形の最終振出日である同年一一月五日までに、右各会社振出の手形合計二、九四二、五〇〇円を割引先から買戻している。したがって、本件約束手形を振出す当時には伊藤工業の資金事情はゆきづまっていたのである。

四、(被告清須の責任)

被告清須は、東京合同通商の代表取締役として、前記の如く被告伊藤と共謀のうえ、本件(2)ないし(7)の約束手形の裏書をなし、また同目録(1)、(8)の手形を振出すにあたり、同会社が満期にその手形金を支払いあるいは裏書人として償還義務に応じうる見込がないことを知りながら、あえてこれをなし、仮にそうではないとしても、重大な過失によりこれを知らずして、右手形の振出あるいは裏書をなしたものである。

五、(被告松田、同吉田らの責任)

被告松田および吉田与蔵は、東京合同通商の取締役であったのであるから、同会社の代表取締役たる被告清須の業務執行を監視して、支払の見込のない手形の振出あるいは裏書行為により第三者に対し損害を蒙らせることのないよう監督する義務があったにもかかわらず、これを怠り被告清須の行為を容認し、原告に対しその主張の損害を与えたものである。

そして、吉田与蔵は死亡し、被告吉田富美がその妻として、同吉田睦子、同吉田雅、同土屋明子がいずれもその子として各相続分に応じて右与蔵の債務を相続した。

六、(結び)

よって、原告は、被告らに対し、請求の趣旨記載の金員およびこれに対する各訴状送達の日の翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する被告らの答弁ならびに主張

(被告 伊藤)

一、請求原因第一項(一)については、東京合同通商に対して振出したとの点を除き認める。原告主張の手形は受取人白地のまま訴外松希工業株式会社に対し振出したものである。同項(二)は知らない。

二、同第二項については、伊藤工業が原告主張の頃取引停止処分を受けて事実上倒産し、伊藤工業振出の本件(2)ないし(7)の約束手形の支払が不能になった事実は認めるが、その余の事実は知らない。

三、同第三項(一)および(二)本文はいずれも否認する。

同項(二)の1については、伊藤工業が第五期決算において原告主張の額の欠損が生じていたこと、同期の決算書に原告主張の利益金を計上したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同2は否認する。

同3については、原告主張のとおり融通手形を交換したこと、その額が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。交換手形の合計額が右のとおりであっても、手形の決算期日は五ないし六ヶ月先であってその期間中に振出した手形は七八〇万円位であるから、一ヶ月当りでは平均して一〇〇万円から一三〇万円位にすぎない。

同4については、原告主張の手形を伊藤工業が買戻したことは認めるが、その余の事実は否認する。

四、(本件手形金を支払える見込があったこと)

被告伊藤は、伊藤工業の取引金融機関であった訴外中央信用金庫に対し自己所有の土地建物を担保として提供して金四、〇〇〇円を限度として融資を受ける契約を結び、さらに伊藤工業において金一、〇〇〇万円の定期預金をして同金庫から金一、〇〇〇万円の融資を受ける契約を結んでいた。

そして、伊藤工業は、長年の取引先である訴外日本特殊機材株式会社に対して金六三一万円の売掛金債権を有し、その支払方法として同会社振出の右金額の約束手形一一通を受取っていた。右手形のうち七通額面合計四六一万円は前記中央信用金庫において割引を受けていたが、残り四通額面合計一七〇万円は、所持していたので、被告伊藤は、右手形を右中央信用金庫において割引き、その割引金をもって本件手形の弁済をする予定であった。したがって、本件約束手形金を支払いうる見込はあったのである。

ところが、右訴外日本特殊機材株式会社が昭和四一年一月二五日手形不渡による銀行取引停止処分を受けたため、すでに割引いていた同会社振出の手形を買戻さざるを得なくなったうえ、右のとおり被告伊藤が予定していた手形の割引が受けられず、伊藤工業は倒産するのやむなきに至ったのである、

(被告 清須)

一、請求原因第一項(一)は認める。

同項(二)については、本件(1)および(8)記載の約束手形の割引を依頼したとの点を除き、その余の事実はすべて認める。右東京合同通商振出の手形二通については、これにより原告主張の金員を受領しているが、それは割引を受けたものでなく原告から融資を受けたもので、その弁済の方法として手形を振出交付したものである。

二、同第二項については、伊藤工業が取引停止処分を受けた事実は知らない。東京合同通商が事実上倒産し、本件(1)ないし(8)の約束手形八通につき振出人あるいは裏書人として義務を履行できなくなったことは認める。

三、同第四項は、被告清須が東京合同通商の代表取締役として、前記(1)ないし(8)の約束手形の振出あるいは裏書をしたことを認めるが、その余の事実は否認する。

四、(本件(1)ないし(8)の約束手形につき支払の見込があったこと)

本件約束手形の振出あるいは裏書をなした当時、東京合同通商としては訴外三信梱包株式会社に対する貸付金その他の返済金またはトレードシップ株式会社との間の韓国向貿易取引の代金の入金をもって、約束手形金あるいは償還金の支払をなす予定であったのであり、支払の見込はあったのである。ところが、予期に反し右三信梱包からの返済が得られず、また日韓関係悪化のため貿易が止められ、結局事実上の倒産となったものである。

(被告 松田、同吉田富美、吉田睦子、同吉田雅、同土屋明子)

一、請求原因第一項(一)は知らない。同項(二)は、被告清須、同松田、亡吉田与蔵らがそれぞれ東京合同通商の代表取締役あるいは取締役であったことは認めるが、その余の事実は知らない。

二、同第二項については、東京合同通商が原告主張の頃取引停止処分を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。

三、同第五項は、吉田与蔵が死亡し、被告吉田富美ら四名が相続したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告松田および吉田与蔵は、被告清須から営業に関与しなくともよいから名目だけ取締役に就任してほしいと依頼され、取締役となったもので、被告清須の業務執行を監督しうる立場になかったのである。

第四、被告らの主張に対する原告の答弁

一、被告伊藤の第四項の主張事実については、伊藤工業が訴外日本特殊機材株式会社に対し債権を有していたとの点は否認する。

二、被告清須の第四項の主張事実は否認する。

第五、証拠関係≪省略≫

理由

一、請求原因第一項(一)の事実のうち伊藤工業が本件(2)ないし(7)の約束手形を振出したこと(被告伊藤および同清須との間では争いがない。)は、≪証拠省略≫により認めることができる。なお、右手形は、≪証拠省略≫によれば、訴外松希工業株式会社に対し融通手形として受取人白地のまま振出されたものを、被告清須が右松希工業から受け取ったものと認められる。

次に、同項(二)の事実(手形割引を依頼したとの点を除き、被告清須との間では争いがなく、被告松田二良、同吉田富美、同睦子、同雅、同土屋明子の関係では被告清須、同松田、亡与蔵がそれぞれ東京合同通商の代表取締役あるいは取締役であったことは争いがない)は、≪証拠省略≫により認めることができる。

さらに、同第二項の事実のうち、東京合同通商が事実上倒産したこと(被告清須、被告松田および被告吉田外三名との間では争いがない。)は、≪証拠省略≫によりこれを認めることができ、伊藤工業が倒産したこと(被告伊藤との間では争いがない。)は、≪証拠省略≫により認められ、原告がこれにより本件手形の支払を受けられなかったこと(被告伊藤、同清須との間では争いがない。)は≪証拠省略≫により認めることができる。

二、そこで、請求原因第三項の被告伊藤の責任につき判断する。

まず同項(一)の計画倒産である旨の主張につき考えるに、≪証拠省略≫によると、被告伊藤は、伊藤工業が倒産した後、同被告の妻マサ子を代表取締役として乾煉機製造株式会社を設立し、実質的には伊藤工業の営業を継続したことを認めることはできるが、同被告が伊藤工業の倒産により同会社の債務の支払を免れたうえ、乾煉機製造株式会社を設立し取引を継続しようと意図し、伊藤工業を計画的に倒産させた事実は原告本人尋問の結果によるもなおこれを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そこで、進んで(二)の主張につき考えてみる。伊藤工業の昭和三九年二月二九日当時の第五期決算において、すでに四、八九三、三二二円の欠損金が生じていたことは当事者間に争いがなく、さらに、≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(1)  伊藤工業は、昭和三八年二月二八日の第四期決算において、すでに金一、〇七八、七〇八円の欠損金を生じてこれを翌期に繰越し、第五期にはそれが前記のとおり金四、八九三、三二三円に増加した。そして、昭和四〇年二月二八日の第六期決算では、さらに増加して一三、二三五、三九四円となっており、昭和三八年頃から経営内容は急速に悪化してきていた。

(2)  そして、昭和三九年頃には、手形の支払等の場合は、その都度受取手形を割引き、その割引金によって支払うという方法をとっていたが、右割引を受ける手形も、その相当部分が松希工業株式会社その他との間で交換した融通手形であり、伊藤工業は絶えずその資金繰りに苦慮していた。

(3)  右のような状況の中で、伊藤工業が本件手形を最初に振出した昭和三九年九月一九日以前に、同会社が中央信用金庫で割引を受けていた訴外株式会社東宝産業振出にかかる約束手形五通額面合計三九四、五〇〇円、訴外大洋商事振出にかかる約束手形二通額面合計八〇、〇〇〇円、および訴外株式会社東立技研振出にかかる約束手形二通額面合計九二四、〇〇〇円が不渡となり、伊藤工業は中央信用金庫から右手形を各満期から数日の間に買戻した。そして、当時同会社は既に右株式会社東立技研振出の約束手形四通額面合計八二四、〇〇〇円を中央信用金庫において割引いていたので、右手形も早晩買戻さなければならないことが明らかであった。したがって、伊藤工業が本件(2)ないし(7)の約束手形を振出す当時には、同会社の資金繰りがますます苦しくなることは、十分に予想されるところであった。

(4)  ところで、伊藤工業は、昭和三九年二月二九日以前において、訴外日本特殊機材株式会社に対し売掛金債権を有し、同訴外会社からその支払のため約束手形を受けとっていた。ところが、右訴外会社は、右手形の支払期日が到来しても手形金の支払ができない状態であった。そこで被告伊藤は、右訴外会社が不渡を出して事実上倒産すると、同訴外会社振出の手形の買戻等のため伊藤工業も連鎖的に倒産する危険があったため、やむなく右訴外会社から新たな約束手形の振出を受け、これを中央信用金庫において割引き、その割引金を右訴外会社に送金し、これをもって前の手形の支払をなすという方法をとって、右訴外会社の倒産を防止せざるを得なかった。そして、このような方法をくり返すうちに、本件手形振出の直前である昭和三九年八月末日現在で、伊藤工業が割引に出している右訴外会社振出の約束手形は、額面合計一、九三〇万円余りの高額なものとなってしまった。したがって、被告伊藤が本件(2)ないし(7)の約束手形を振出す頃には、訴外日本特殊機材株式会社が取引停止処分を受ければ伊藤工業も連鎖的に倒産することは必至の状態にあった。

(5)さらに、伊藤工業は、昭和三八年頃から訴外松希工業株式会社との間で融通手形の交換をしていたが、前同様本件手形振出の直前である昭和三九年八月末日現在で伊藤工業が受け取って割引いていた手形の総額は、六〇〇万円を超えていた。被告伊藤は、そのころ、右のように融通手形の総額が増大したことを知って、右松希工業の支払能力につき危惧の念を抱き、少しずつでも融通手形の金額を減少させることに腐心していたものの、意の如く右融通手形額を減少させることができず、結局被告伊藤は、本件(2)ないし(7)の約束手形を訴外松希工業に対する融通手形として振出したのであるが、このときには、訴外松希工業が倒産すれば、伊藤工業が倒産を免れることは頗ぶる困難な状勢にあった。

(6)  そして、その後訴外松希工業が倒産したため、伊藤工業は割引を受けていた同訴外会社振出の約束手形を買戻すこととなり、次いで訴外日本特殊機材が倒産し、これも割引を受けていた同訴外会社振出の金額一、九〇〇万円を超える約束手形を買戻さねばならなくなり、とうとう昭和四〇年一月頃伊藤工業も倒産するに至り、本件(2)ないし(7)の約束手形の支払ができなくなったのである。

右事実によれば、被告伊藤が本件(2)ないし(7)の約束手形を振出した当時、伊藤工業の資産状態が悪く、また訴外日本特殊機材株式会社のみならず松希工業株式会社まで、その倒産が予期され、惹いては、伊藤工業の倒産も不可避の状勢にあったのであるから、本件約束手形金を支払いうる見込は殆んど無かったといわなければならない。

ところで、被告伊藤は支払の見込があった旨主張する。なるほど≪証拠省略≫によれば、被告伊藤が伊藤工業のため中央信用金庫に対し、昭和三九年二月四日に同被告所有の土地、建物に少くとも金二、五〇〇万円を極度額とする根抵当権を設定していた事実を認めることはできる。しかしながら、≪証拠省略≫によれば、右根抵当権は手形割引のために設定したものであり 手形を持参しなければ右極度額まで融資を受けることはできなかった事実を窺うことができ、そして、同被告がその割引金によって本件(2)ないし(7)の約束手形の支払をなし得たと主張する手形は、訴外日本特殊機材株式会社の振出にかかる手形であるから、右手形の割引金は前記のとおり同訴外会社振出の手形の支払にあてられることが予定されていたものであって、本件(2)ないし(7)の約束手形の支払にあてうるものではなかったのである。したがって、これにつき同被告主張のように支払の見込があったと考えることはできない。

以上によれば、被告伊藤は、その支払の見込が極めて薄かったにも拘らず、訴外日本特殊機材株式会社および同松希工業株式会社の支払能力を軽信し、あえて本件(2)ないし(7)の約束手形を振出したものと認めることができ、その行為は、商法二六六条の三所定の取締役がその義務を行うについて少くとも重大な過失があったものと解するのを相当とする。したがって、被告伊藤はこれにより第三者である原告が蒙った損害を賠償する義務がある。

三、次に、被告清須の責任につき判断する。同被告が被告伊藤と共謀して伊藤工業ないしは東京合同通商を計画倒産せしめたことを認めるに足る証拠はない。

≪証拠省略≫によれば、東京合同通商は、昭和三九年当時その事業がうまくいかず、その資産はほとんど無きに等しい状態であったこと、そして、手形の支払等のときはその都度手形や信用状を割引くことによりその資金を得ていたこと、また、昭和三九年三月頃から訴外三信梱包株式会社に対し、融通手形を振出して貸付を行うようになったが、右訴外会社において右融通手形の支払なすことができず、被告清須は、満期ごとに右訴外会社に対し新たな手形を振出して、その割引金をもって前の手形の支払をなすことをくり返していたこと、そのため右訴外会社に対する貸付金が膨張していったこと、そして、右手形の支払をなすだけでも東京合同通商にはかなりの負担であったこと、本件(1)ないし(8)の約束手形の振出ないし割引は右のような状況のもとで行われ、その手形金を支払いないしは償還義務に応じるには、韓国との貿易で利益をあげる以外に方法がなかったこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。ところで、≪証拠省略≫によれば、東京合同通商は、韓国との貿易において、訴外トレードシップ株式会社との間で取引をしたことがあること、そして、右訴外会社からその後も見積依頼書が送られていたことも認めることができるが、同時に、右見積依頼書は東京合同通商に対してだけでなく、各業者に送られるものであって、見積依頼書が送られただけでは必ずしも取引が成立する見込があるとはいえないことが認められるので、被告清須の主張するように、韓国貿易によって利益があげられる見込があったと認めることはできない。

右によれば、被告清須が本件(1)ないし(8)約束手形を振出しあるいは裏書をなした当時、東京合同通商の資産状態からみて、右手形の支払ないしは償還義務に応じ得る見込は非常に薄く、被告清須は十分これを予見しえたものというべきである。にも拘らず、支払につき確実な方策もなくただ漫然事業の成功を願うだけで本件約束手形の振出ないし裏書をなした被告の清須の行為は、少くとも商法二六六条の三所定の取締役がその職務を行うにつき重大な過失があったというに該当すると解するのを相当とし、被告清須はこれがため第三者である原告に生じた損害を賠償する義務を免れない。

四、最後に、被告松田および吉田与蔵の責任につき検討を加えるに、≪証拠省略≫によると、被告清須は東京合同通商を設立するについて、実父である被告松田および義父にあたる吉田与蔵に依頼し、名目だけの取締役になってもらったこと、東京合同通商は被告松田の経営する東京海運株式会社の事務所の一部をその事務所として使用してはいたが、設立以来一度も取締役会を開いたこともなく、被告松田および吉田与蔵は何ら東京合同通商の経営に参加したことがないこと、そして、取締役としての報酬も受け取っていなかったことを認めることができる。

ところで、現行商法上代表権限を有しない取締役は、主として取締役会の構成員として同会を通じて活動する機能を有し、その限りにおいて、代表取締役の業務執行に対する監督の義務を負うものと解されるところ、取締役としては、取締役会に上程されない事項についてはその監督権限を行使することは事実上不可能であるから、右監視義務違背を認めるには、単に取締役であるだけでは足りず、それが、取締役会に付議された事項に関するものであるか、あるいは他に容易に監督し得るような特段の事情を必要とすると解すべきである。

これを本件についてみるに、前認定のように被告松田および吉田与蔵は、被告清須からの依頼で名目上の取締役となったが、その報酬も全然受け取っておらず、また前認定のように、取締役会が同会社設立以来一度も開かれたことがなく、被告松田および吉田は、被告清須の本件(1)ないし(8)約束手形の振出ないし裏書の事実を全く知らず、また知る術もなかったというべきであるから、被告松田および吉田について前記監督義務違背を認めることはできない。よって、被告松田および吉田与蔵には原告の損害を賠償すべき義務はない。

五、以上の認定説示によれば、原告の被告伊藤および同清須に対する請求はいずれも理由がある(被告伊藤および同清須に対し、本件訴状がそれぞれ昭和四一年二月一八日および同月二二日に送達されたことは記録上明らかである。)のでこれを認容し、その余の被告に対する請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長井澄 裁判官 牧山市治 相良朋紀)

〈以下省略〉

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